趣味とは何か Hello world!

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趣味に対する疑問
趣味という誰が最初に考え出し、いつから日本で使われ出したのか皆が知らない不思議な言葉。よく趣味は何かとか趣味を持たなければいけないとか一般に言われます。そして人々は何か趣味を持たなければいけないと思い、趣味を持っていると安心感が得られます。趣味は人生を豊かにすると言われます。確かに趣味に夢中になることは楽しく、多趣味な人を見るとうらやましく感じたりもします。しかし趣味は本当に人生を豊かにするのでしょうか。趣味を持たなければいけない、趣味を持つべきだという考えは、どこか独善的な感じがします。なぜ趣味を持たなければいけないのか、趣味を持つことは本当にいいことなのか議論する余地を与えずに、趣味を持つべしと言われることには違和感を感じます。

趣味としてのスポーツと道楽
趣味の例としてスポーツが言われたりします。Wikipediaによればsports スポーツの語源はラテン語のdeportare デポルターレにさかのぼるそうです。これは「あるものを別の場所に運び去る」が転じて「憂いを持ち去る」あるいはportare「荷を担う」の否定形「荷を担わない、働かない」という語だそうです。スポーツが日本に輸入されたのは明治時代初期で、大正末頃から欧米由来のスポーツがスポーツとして一般化され、戦後、武道を含んだものがスポーツと呼ばれ始めたそうです。つまり、江戸時代には今ある趣味の多くが日本には存在していなかったことになります。今ある趣味の多くが昔は日本には存在していなかったのに、趣味をもたなければいけないとはどういうことでしょうか。昔はスポーツ以外の趣味を持つ人が多かっただけなのか、それとも趣味を持たない人が今より多かったのかだと思います。江戸時代にスポーツの趣味がなかったとすると趣味の多くは園芸、釣り、文芸などの道楽が多くを占めていたことになります。道楽は道楽者や道楽息子のようにそれほどいい意味があるようには思えません。昔は趣味が今ほどいい印象を持たれていなかったように思われます。昔は持つべきというわけではなかったものが、今では必ず持つべきものに変わるのは変な話だと思います。実際には趣味は必ずしも持たなければいけないものではないと考える方が自然な気がします。

趣味の動機
趣味を持ちたいと思わない人にとって、趣味は必ずしも持つ必要がないと言えるでしょう。それでは趣味を持っている人はなぜその趣味を持つことになったのでしょうか。その趣味を持つことが理にかなっているから、その趣味を行うことが楽しいから、時間つぶし、興味があったからなどでしょう。その趣味を持つ明確な意図がある場合問題ないでしょう。けれどもいつの間にかその趣味を始めてなんとなくその趣味を続けているとしたら、その趣味を行っていることは自分の意志といえるのでしょうか。その趣味が特別な目的を持って行われていることでないのなら、快をもたらすものといえるでしょう。しかし、その趣味を始める前から快を認識できてその趣味を始めたのか、それともその趣味から快が得られることを認識せずに、その趣味を始めてからその趣味を行うと快が得られることがわかったのでしょうか。人に勧められて行った趣味、受動的な趣味は快を事前に認識せずに始めた可能性もあります。その趣味を始めた明確な意図はないけれど、能動的に始めた(と本人は思っている)趣味はどうでしょうか。その趣味を行うと快が得られることを事前に予知していたか、能動的に始めた趣味と錯覚していただけで本当は自分の意志で始めたものではないかだと思います。能動的と思っていたけれど、本当は自分の意志で始めたのではない趣味は、刷り込まれた潜在意識によって始めた趣味の可能性もあります。

趣味についての結論
このように趣味について考えるとわからないことがたくさんあります。趣味について考えることは自己の意思決定についても考えさせられます。趣味について考えることで、趣味は誰もが必ず持つべき絶対的なものというわけではなく、趣味を持つことが選択肢の一つであることがわかりました。趣味は由来の不明な合目的または快をもたらす行為であり、自己の意志に全面的に依存しているとは限らない不確定要素を含むものといえるでしょう。

コメント

  1. こんにちは、これはコメントです。
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    • かわ より:

      WordPress コメントの投稿者さん、こんにちは。
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