定型詩への疑問
人は誰もが嬉しい事や悲しい事があると言葉で自分の気持ちを表現したいものです。それには制約も決まりもなく自由に表現したいものです。それなのに昔の日本では短歌、俳句、川柳といった定型詩が人気だったのはなぜでしょうか。文字数に制限があると聞く人に自分の気持ちを正確に伝える事は難しいと思います。聞く方も文字数に制限がない方が理解しやすいと思います。
言葉の形
それは日本人は言葉を大切にする風習があるからと思われます。小林秀雄が「本居宣長」で指摘する宣長の、『姿は似せがたく、意は似せやすし』の言葉のようにある歌が麗しいとは歌の姿が麗しいと感ずる事だそうです。現代よりも詩の意味よりも、詩の美しさを重視していたようです。言葉の美しさを大切にし、一つ一つの言葉に気持ちをこめて、それを詩にするので短歌、俳句、川柳といった形式美がある詩が人気になったと思われます。今の日本で様式美が好まれるのにつながるものがありそうですね。古来日本では言霊を信じてきたように、一つ一つの言葉には魂が宿っているので、言葉を大切に使わなければいけないと教えられてきました。人生の大切な教訓は、ことわざ、格言のような短い言葉で後世に残されてきました。短い言葉の方が記憶に残りやすく、一つ一つの言葉に重みが増すからでしょう。戦前日本で使われていた旧字体は字の持つ意味が形からわかるようになっていました。簡略した文字の方が見やすいのになぜ複雑な文字を使っていたのでしょうか。漢字の意味と同じくらい漢字の形が大切だと思われていたからだと思います。漢字の形を見るだけで一つ一つの漢字に込められた先人の思いが伝わり、その漢字を厳選して使うことで自分の考えを相手に細微まで伝えやすいからだと思います。つまり、昔の日本人は多く言葉を使い自分の気持ちを表現するよりも、言葉を適宜に使い分け簡潔に自分の気持ちを形としての美しさを持って表現することを重視していたと思われます。
言葉の深さ
また日本が島国であることも関係ありそうです。大陸に住んでいたら、自分が何か権力のある人に気に入らない事を言ってしまっても、どこか遠くに逃げることもできます。しかし、日本のような島国では簡単に逃げる事はできません。だから、何か言いたいことがあっても、はっきりとわかるように言わず、いろいろな解釈ができる、字数に制約がある詩が好まれたのだと思われます。赤穂浪士の討ち入りを題材とした歌舞伎の演目の中に出てくる連歌
年の瀬や 水の流れも 人の身も 明日待たるる その宝船
(川の流れも人の往来も慌ただしく年の瀬だなあ。明日宝船が売られるのが待ち遠しい。)
が日本で人気あるのも一見、年末や正月を歌った日常的な歌であるけれども、真意は別にあり、それを表にはしない形で表現してるところにあると思われます。日本には元々物事をはっきりさせない文化があります。自分の意見をはっきりと表明せず、相手を思いやった言葉を言うのが美徳とされてきました。そういう気質のある日本人にあいまいさが残る定型詩が合っていたのでしょう。
言葉の響き
また五七調がリズムがよく、聞き心地がいいのも人気があった理由みたいです。文字数も表現しやすく、変化がありつつ規則性があるのが、聞いていて安らぎをあたえるみたいです。規則性に心地よさを感じるのは日本人らしいですが、逆に、戦乱の世では定型詩から休息感が得られ、太平時には秩序立った詩から安心感が得られたのでしょう。