「哲学とその方法について」-「知性について」の一編

合理主義と照明主義
これは「知性について」/ショーペンハウエル著 細谷貞雄訳の中の一篇、「哲学とその方法について」を読んだ感想です。
 ショーペンハウエルが言うには哲学には合理主義と照明主義があります。合理主義は意志に奉仕し、外部に向けられている知性を認識の器官として働かすそうです。照明主義は内面へ向かうものだそうです。内的照悟とか知的直感とか高次の意識とか直接に認識する理性とか神の意識とか融合体験とかいうものを認識の器官とするそうです。ここで言う合理主義は例えば神は私たちの感覚では認知できないので存在は不明という考え方です。照明主義は例えば神は誰もが認知できるというわけではないが意識の中に神の存在を感じることができる場合があるから神は存在するなどという考え方です。ショーペンハウエルが言う合理主義は、直感的認識を基にして概念を考えたり構成したりすることです。抽象的概念を基にして概念を考えたり構成したりすることではありません。抽象的概念を考える時にも個人の感覚、経験を基に考えるいわゆる実存主義です。

真理探究
 また、ショーペンハウエルは、真理探究の客観的に有効な方法は、意志という経験的事実を把握し、これを客観的な外界認識の説明に適用することと考えています。つまり、例えば貧しい善人たちがずっと金持ちの悪人たちに虐げられているのを見て神は存在しないのではないかと考え、他にも神を可視できない、神を信じている人が神を信じていない人より幸福とは限らないなど神の存在を疑う事例を現実に認め、それを基に神の存在を客観的に説明しようとすることと思われます。 
 また真理探究のためには、知らないことを知らないと認めることが価値があるそうです。誰も検討もせずに真理と認めている命題を吟味することが重要だそうです。これは日常生活でも役に立ちそうです。食べ物について一般に言われていることを信じているだけで何が健康にいいのか悪いのか本当のことは何もわかっていません。人生設計についてもなんとなく良さそうだというだけで本当は何がいいのか何もわかっていません。一度常識をすべて捨て去り、一つずつ調べてみることが大切だと思われます。

首尾一貫した世界観
また、ショーペンハウエルは事物の客観的な直感的な把握から発して首尾一貫して展開された世界観は、まったくの虚偽ではありえないと考えます。真理は一つのはずなのになぜ異なった世界観が同時に真実であることがありえるのでしょうか。それは首尾一貫した世界観というものは、真理を一つの視点から見ている状態で、視点が変われば見え方も変わるということだそうです。だから、完全な唯物論、絶対的な観念論が共に真実であり、自分を含めいっさいは空とする「伝道の書」のような見方も、かつて存在したもの、いつか存在するであろうもの、その一切が私であり、私のそとには何ものもないということも真理だそうです。物質が実体であり精神はその反応の表れにすぎないという考えと、精神が確かなものであり外界は観念を通じて間接的に知られたものという考えが同時に真実であるということがありえるのでしょうか。精神と物質が存在しつつ存在しないとは、原子では物質として存在しているのに電子では物質として存在していないという量子状態なのでしょうか。