なぜニーチェは悲劇について書いたのか
「悲劇の誕生」(「音楽の精神からの悲劇の誕生」)は劇としての悲劇とアポロ、ディオニュソスの関係について書かれ1872年1月に出版された書物です。なぜ哲学者ニーチェは処女作として芸術についての書物を書いたのでしょうか。悲劇の誕生は1870~1871年の普仏戦争の真っ只中に書かれたそうです。戦争の最中に哲学者が芸術について書くというのは不自然な感じがします。実際、最後まで読むとプロイセン国家とドイツ精神について語っているのがわかります。悲劇について語っているようにみせて、実際には国家として進むべき道、ドイツ精神のあるべき姿について語っています。ニーチェの芸術的才能が哲学的に結論を最初に述べる形ではなく、物語のように最後に結論を言う形を取らせたのでしょう。
時代背景
プロイセンは、オーストリアと連合してデンマーク王国と戦ったシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(1864年)、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国の管理についてオーストリアと争った普墺戦争(1866年)で勝利しドイツ統一に向けて前進していました。プロイセンは国家として領土拡大または統一が順調に進み何も問題あるようには思えません。何がニーチェにとって問題と思えたのでしょうか。ニーチェは、ドイツ精神よ、おのが神話の故郷を持たずして、いっさいのドイツ的事物の「復興」なしに戦いうると信じてはならぬ、と書いています。つまり、国民が神話の価値と意義を再認識するなしに領土を拡大しても国家としての特徴、古来の文化、民族性などが失われ、いずれ分裂してしまうと考えたからだと思います。それではなぜ神話が国家にとって大切だとニーチェは考えたのでしょうか。
神話の役割
ニーチェは現実を仮象と考え、神話が現実を仮象だと認識させてくれるものだと考えたからだと思います。アイスキュロス、ソフォクレス(ソポクレス)のような悲劇の中で主人公は悲劇的結末で幕を閉じます。これだけでは、不幸や死に対して拒否反応が起きるだけです。しかし、古代のギリシアでアイスキュロス、ソフォクレスの悲劇が舞台で演じられた手前でコーラス隊がコーラスを行っていました。このコーラスの存在により、観客をディオニュソス的陶酔的気分にさせることで、観客は一つの新しい幻影(アポロ的形象世界)を自分の外に見るとニーチェは考えました。コーラスが現実で舞台は仮象を表現しているからです。観客が自分の外に見る仮象が変わることにより自分達が外に見る世界は絶対的なものではないことを気づき、舞台で主人公がどんな悲劇的結末を迎えてもそれは仮象にほかならず、死すら悲しむべきものか本当のところは誰もわからないというわけです。それではなぜ日常的な物語ではなく神話でなければいけなかったのでしょうか。エウリピデスより前は、言語の性格を規定していたものは、悲劇では半神、喜劇では酩酊した半人半羊神(サテユロス(サテュロス))か半人間であったが、いまや庶民的凡庸性が発言権を獲得する、とニーチェは書いています。日常的な物語では凡人が主人公となりますが、そのような人物は抜け目なく下僕的で、仮象である現実を仮象であると認識するのにはふさわしくないためだと思われます。また日常的な物語には神話にあるような超越的な英知が含まれにくいからだと思われます。
アポロ的なものとディオニュソス的なものの役割
それでは、悲劇にはディオニュソス的なものだけ必要で、アポロ的なものは必要ないのでしょうか。ニーチェは「悲劇の誕生」の最初に、芸術は、アポロ的なものとディオニュソス的なものの二重性によって進展して行くと書いています。ディオニュソス的なものだけだとインド仏教のような奪魂没我のような状態に行き着くそうです。アポロ的なものとは、個体化の原理、すなわち、「物自体」を主観に対して感覚を通じて個々の事物として現象させる原理らしいです。つまり、アポロ的なものとは私たちを現実世界に引き戻し、節度ある生活をさせるものです。ディオニュソス的なものにより私たちを仮象から解き放たれ、アポロ的なものにより再び私たちを仮象に戻らせるということです。逆にアポロ的なものだけだとローマ帝国のように世俗化へと落ち込むそうです。
プロイセンにニーチェが求めたこと
また、ディオニュソス的英知は、カントとショーペンハウアーによるドイツ哲学だそうです。そして、ギリシア民族から学ばれたドイツ精神はゲーテ、シラー、ヴィンケルマンの教養にみられるそうです。また、ニーチェによると古代ギリシアの芸術によりドイツ精神が更新され浄化されるそうです。また、アポロ的なものにはワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」があるそうです。
以上のようにプロイセンは領土拡大の前に、古代ギリシアの芸術によりドイツ精神を更新し、ゲーテ、シラー、ヴィンケルマンの教養によりドイツ精神を高め、カントとショーペンハウアーによるドイツ哲学により、ディオニュソス的英知を学び、ワーグナーのようなアポロ的なものにより個人を現実に引き戻す必要があるとニーチェは考えていたようです。
参考文献 世界の名著 ニーチェ 悲劇の誕生 西尾幹二訳