「心の平静について」-「人生の短さについて」の一編

「心の平静について」のあらすじ
これは師匠の命令に従って国政に参加しようと決心したセレヌスが平静を得る方法をセネカに教えてもらう話です。セネカはローマ帝国初期の哲学者でローマ皇帝ネロの家庭教師でした。セネカの話すことの根底にあるのは魂の不滅、質素倹約などです。自分のすることの範囲を狭め、自分の気性に合ったことをし、無駄な贅沢をしないようにし、書物さえも必要以上所有しないようにし、魂は神に借りたものだから返せと言われたらいつでも返すという考えのようです。

神話と心の平静
しかし神への信仰と哲学はなぜ共存できたのでしょうか。神話を信じられる理由が何かあったのでしょうか。それとも神の存在を前提にすることが行動する上で理にかなっていたのでしょうか。古代ローマの時代に信仰されていた宗教はローマ神話の神々、ミトラ教、キリスト教のようです。ミトラ教は下層階級の人々を中心に信仰されたそうです。ミトラ教は終末的、救済宗教といわれているようです。となるとセネカが信じていた宗教はローマ神話の神々でしょうか。そうならば、ローマの時代にとって神話は哲学者、軍人などにとって精神的に重要な意味を持っていたようです。プブリリウスの言葉として
誰にでも起こりうるのだ―誰かに起こりうる出来事は。
と書いています。皇帝でも、元老院議員でもいつ命を奪われるかわからない時代だったので簡単に安らげることはできなかったでしょう。またセネカは、われわれは高位に立っている人々を羨んではならない。高くそびえて見えたものは、実は険しい断崖であると書いています。権力を多く持っている人ほど命を狙われる危険が多かったのでしょう。だから平静を得たいと考えていたセレヌスが国政に参加することにあまり賛成していなかったのでしょう。

ディオゲネス
 セネカはディオゲネスのような生き方を幸福だと考えました。ディオゲネスは何一つ自分から奪い取られないようにしたからだそうです。セネカは財産を人間に苦難をもたらす最大の原因と考えています。財産を失う苦痛はとても大きいと考えたからです。財産を失う苦痛を感じるよりはディオゲネスのように貧乏で何も持ってない方がいいと考えたようです。ディオゲネスは古代ギリシアのキュニコス派の哲学者で樽の中に住んでいたので樽のディオゲネスとも呼ばれていました。キュニコス派は犬儒派ともいわれ、ソクラテスの弟子であるアンティステネスを祖とする古代ギリシアの哲学の一派です。キュニコス派は禁欲を重視し、理論より実践を重視していたそうです。欲望を我慢することが魂にとって良いと考え、質素な暮らしをしていたようです。

ヘラクレイトスとデモクリトス
 また、セネカは、ヘラクレイトスよりもデモクリトスを真似るのがよいと書いています。ヘラクレイトスには人間のしていることがすべて哀れに見えたが、デモクリトスには愚かに見えたそうです。万事を軽く見て、楽な気持ちで堪えることが大切だそうです。万物の根源を火(変化と闘争)と考えたヘラクレイトスより、原子論を考えたデモクリトスの方が唯物論に近そうなのに楽観的なのは不思議です。ヘラクレイトスは、万物は流転していると考えたが、その背後に変化しないものロゴス(言葉、真理)があると考えました。流転しているのは仮像で、その背後に物そのものがあるということでしょう。つまり、デモクリトスは万物を単純なものに分解して理解できると考え、ヘラクレイトスは万物の根源をものではなくて変化(火)と考えていて、万物を単純に理解していたデモクリトスの方が楽観的ということでしょうか。

結論
 またセネカは、旅行が心を軽くするのに良いと書いています。旅行は自分自身から逃げ出す行為であり、休耕のように心の休養によって再び活力を取り戻すそうです。これは遊びや踊りのような娯楽にも同じ事がいえるそうです。このように心の平静を保つには心に対する絶え間のない気遣いが大切だそうです。セネカの言う心の平静を保つ方法は精神的に強くないと実践すること難しそうですが、セネカは心は弱いものだから絶えず心を気遣って保護しなければいけないと考えていたようです。身と心を軽くして心を絶えず保護することが心の平静を保つには大切だということがわかりました。

参考文献 「人生の短さについて」 セネカ著 茂手木元蔵訳