カント「判断力批判」(上)第一章 美の分析論

趣味とは
 カント「判断力批判」(上)の第一章 美の分析力は趣味判断について書かれています。ここでは美とは何かについて書かれているので、カントの著書の中では人々に一番関心を持たれる話題だと思います。カントは次のように趣味を定義しています。
 『趣味とは、美を判定する能力である』
カントが判断力について説明するのに最初に趣味について書いているのはもっともだと思います。人間が何かを判断するのに大抵好きか嫌いかで判断するからです。好きか嫌いかが何かを判断する上で最も重要な要素だと思います。

快の分類
カントは快を次のように分類しています。
快─┌快適・・・感官(五感)にとって感覚的に快いもの
  └美(単に快いもの)─自由美・・・概念を前提しない美(例)飾り縁、幻想曲
  │         └付属美・・・概念に付属する美(例)人間の美、馬の美、建築物の美
  └善・・・理性を介し、概念によって快いもの

美学的判断と概念
またカントは美学的判断について次のように説明しています。
 美学的判断の規定根拠は判断する主観の感情であって、客観の概念ではない
つまり例えば円(平面上で定点から等距離にある点の集まりという概念で表される)などは美しいとみなされることもあるが、この適意は有用であるという観点に基づくので、美とは言えないそうです。円は快適に分類されるのでしょうか。またカントは趣味について次のように説明しています。
 (趣味は)すべての人の同意を当然要求し得るような美学的判断
なぜ美学的判断は主観に基づくのにすべての人の同意を要求し得るのでしょうか。それは人間には共通感があるからだそうです。共通感は、共通心とも呼ぶ普通の悟性即ち常識とは異なるそうです。常識は、感情によって判断するのではなくて、概念に従って判断するものだからだそうです。ところで付属美は本来なんであるかということを規定する概念や、これらの物の完全性の概念が前提されるそうです。しかし美学的判断は概念ではなく感情によって判断する共通感に依存するそうです。概念に付属する美でありながらその判断は概念でしないというのは矛盾しているように思われます。共通感は感情だけで判断するのではなく、概念でも判断しているのでしょうか。この不確かさは共通感の曖昧さに由来するのでしょう。カントは形態の美に関して国で異なる標準的理念をもつに違いないと書いています。つまり共通感は時と場所によって変わるので明確な概念で表せないが概念とは関わりがあるということでしょうか?

標準的美と理想的美
 またカントは平均的なものがすべての個々の形象に対して共通の尺度になる、平均的寸法が美しい男子の〔標準的〕体格であると書いています。しかし人間の美の理想は、美の標準的理念とは異なる、人間の形態において理想を旨とするところは、道徳的なものの表出にあると書いています。つまり、標準的美と理想的美のすくなくとも2種類の美が存在していることになります。またカントは想定として、自然は内的なものの比例をそのまま外的なものにおいて表出すると書いています。つまり、標準美を美として見る人と理想美を美として見る人では美人に対して求めるものが違うということなのでしょう。標準美には平均的な行動、性格などが求められ、理想美には強力な行動、性格などが求められるのでしょう。行動が規範から少し外れていそうな顔が美人と評価されがちなのは、日本社会全体が強さを求めている影響なのでしょう。つまり、資本主義社会における価値観が今の日本の人の美しさに関係しているのでしょう。

参考文献 「判断力批判」(上) カント著 篠田英雄訳 岩波文庫