本の題名
この本はニーチェ自身とニーチェの著書について書かれた本です。解説によると、「この人を見よ」はヨハネ伝第19章5節にある言葉で、捕らわれたキリストを指すそうです。
健康とは
ニーチェは根が健康だから自分で再度健康にしたそうです。つまり、ニーチェにとって健康とは健康な状態を指すのではなく健康に良い行動を普段から自然としている状態を指すようです。病気は普段の悪い行動の外的表れであり、悪い行動を正すことが健康でいるために重要なようです。ペシミストも病気であるそうです。また本能的に自分の仲間の書物、人間、風景を集めるそうです。
後悔と永劫回帰説
またニーチェは、後悔はよくないと言っています。自分が何らかの行動をしておきながら、後になってその行動を見ごろしにするなどということはしたくないと書いています。ニーチェはある行動をする時、しないという選択肢もある中でその行動をしたのではなくで、その行動は必然と考えているようです。そして、何度同じ状況を繰り返したとしてもやはり同じ行動をすると考えているようです。ニーチェは、これを「永劫回帰説」、万物は何の制約も受けず無限に循環を繰り返すという説だと書いています。ニーチェは、人間の偉大さを言い表す私の決まった言い方は、運命愛(アモール・ファティ)である、すなわち、何事も現にそれがあるのとは別様であって欲しいとは思わぬこと、未来に向かっても、過去に向かっても、そして永劫にわたって絶対にそう欲しないこと、と書いています。ヘラクレイトスの「万物は流転する」という考えはディオニュソス的哲学における決定的要素だそうです。
無神論について
また、ニーチェにとって無神論は本能的に自明のことだそうです。神というものを想定すると自分の行動の根拠が自分以外に委ねることになるので、個人の行動は何物にも依存せずどれも必然と考えるニーチェにとって受け入れることができない概念なのでしょう。ニーチェは、神とはわれわれ思索人(デンカー)にとって一つの大づかみな答えであり、何とも不味い料理なのであると書いています。
酒と水
またニーチェは、「酒中に真理あり」という諺は間違っているそうです。精霊(ガイスト)は水の上を漂うものだそうです。意識がはっきりとせず動物的本能が働いている状態は人間の本質ではないということなのでしょう。生とは意識的に問題に対して戦いを挑むことだから意識的でない状態には本質的なことは含まれていないということなのでしょう。
運動と思想
またニーチェは、戸外で自由な運動の最中に生まれたのではない思想は信用しないことだと書いています。ニーチェは、現実の生を重視しているので現実の生からかけ離れた考えは意味がないということなのでしょう。
失敗してはいけない3つの選択
またニーチェは、どんなことがあっても失敗してはいけない選択は、栄養の選択、気候と土地の選択、休養の選択であると書いています。出来の良い人間は自分の養分になるものだけを美味と感じると書いています。また誰にしろ、何処に住んでも構わないというものではあるまいと書いています。そして休養とはニーチェにとって読書や音楽鑑賞を指すようです。
超人の例
またニーチェは、「超人」の例はチョザレ・ボルジアのようなタイプの人間を探した方がいいと書いています。チョザレ・ボルジアは、イタリア・ルネサンス期の軍人・政治家で交戦的、謀略的、行動的な人物であったようです。
感想
この本はニーチェ最後の著作だそうですが、ニーチェの他の著作にも触れているので最初に読むのにふさわしい本と言えると思います。ただ、比喩的で文才のある書き方なので理解するのが難しいです。それでも物語や箴言ではなくて直接的に書いていることが多いので、他の本よりはニーチェの考えを知りやすいと思います。
参考文献 「この人を見よ」 ニーチェ/西尾幹二 訳