「知性について」-「知性について」の一編

内容
ショーペンハウエルによって書かれたこの一篇は、哲学の方法、時間、天才などについて書かれています。この一編は、カントの「純粋理性批判」を基礎としているそうなので、そちらを読むと理解が深まるかもしれません。

知性とは
知性とは、ショーペンハウエルによると、認識とその力だそうです。そして知性は意志の現象に属し、従って間接的に意志に所属するそうです。また、知性は外来の作用を受け入れるための、きわめて高度に発達した感受性にほかならず、内的な本質をなすものではないそうです。また、知性の理解力は外延量ではなくて、内包量であると書かれています。それは私達の外部の物そのものは理解することはできず、現象としての物を理解していることを前提しているようです。つまり知性が理解することは外的な物であっても私達が知覚できる内的部分ということでしょうか。例えば放射能で理解できるのは私達が知覚できる影響と装置などを通して見る現象であって、知覚に入ってくる物を理解できるということでしょうか。それに関係して、すべての世界は主観の認識能力の中に存在しているので、認識の妥当性は相対的な条件付きのものにすぎないと書かれています。つまり全人類が同意することであってもそれだけでは私達人類の知覚において妥当性を持っているだけであって普遍的真実とは限らないということなのでしょう。
 またショーペンハウエルは考える時に直感を重視しているようです。何か新しい深い洞察(略)(の)機縁は、いつでも直感的なものであり、そして何らかの直感的な洞察は、いかなる偉大な思想をも支えているであろうと書かれています。また、しっかりした思想をもつためには、決してくだらぬことを考えないと書かれています。つまり静寂にいることが思想をもつためには重要なようです。誰かが何かが自分に話しかけている状況はあまりよくないようです。
 そして、どうもわれわれのあらゆる思考のうちの半分は意識なしにおこなわれているという気がする、前提がはっきり考えられていないのに結論がでてくるというのがたいていの場合だと書かれています。確かに私達が何か商品を買うのにその商品を買う明確な理由が出ない内に習慣またはその時の気分で決めたりします。本当は自分が決めたのではなく何かに誘導されたのかもしれません。
 また、おなじものを長く見つめていると、眼が鈍くなって、もう何も見えなくなる、それとおなじように、知性もおなじ事柄を打ちつづき考えていると、それについて何も発見したり理解したりすることができなくなると書かれています。これは知性も休息を必要とするからだそうです。

天才とは
天才とは、ショーペンハウエルによると、二重の知性を具えている人間だそうです。一方の知性は彼の意志に仕え、他方は世界を純粋に客観的に把握するそうです。この把握の集約もしくは精髄がどのような技術的修練を積んでいるかに応じて、芸術なり詩なり哲学なりの作品の中で再現されるそうです。前者後者をそれぞれ主観的知性、客観的知性となづけられるそうです。主観的知性が修練させた人が道徳的人間や権力者や金持ちになり、客観的知性を修練させた人間が天才になるということでしょうか。
 また作家が与える楽しみというものは、彼の考えと読者のそれとの間にある調和があるということを前提条件としていると書かれています。しかし、大事業を志す人は、眼を後世に向け、後世のために自分の作品を仕上げなくてはならず、同時代の人々には知られずにおわると言っています。天才と現世で人気の芸術家とは出発点から方向性が違うようです。
 また、ショーペンハウエルは天才は高慢に考えたり行動したりすることが重要と考えているようです。高慢さをぬきにしては、偉大な人物というものは、ありえないと書かれています。天才が真価のある偉大非凡なものを生みだすことができるのは、自分と同時代の人々の流儀や思想見解などをまったく無視し、彼らが非難するものを平然と創造し、彼らが誉めそやすものを軽蔑するからにほかならないと書かれています。考えや物事を意識なしに受け入れないことが重要なようです。

知性と時間の関係
また、ショーペンハウエルは、時間は物自体の本質に含まれているものではなく、われわれの知性の中にあるにすぎないと書いています。時間の中で現われる一切は単なる現象だそうです。なぜショーペンハウエルがそう考えるかというと、何かがいかなる場合にも自分の身について回ることに気づいたならば、私はそれが自分の付属したものであると推定するからだそうです。(実際は動いている物体は時間が遅く観測されるそうだから時間は知性には属さない?)
 同様に空間もわれわれの知性そのものに属すそうです。(実際には物体により空間は歪むそうだから空間は知性には属さない?)
 このカントが発見した「時間の観念性」は「慣性の法則」の中に、すでに含まれている考えだそうです。それは「単なる時間はいかなる物理的効果をも生じえない、したがって時間だけは、物体の静止と運動にすこしも変化を加えない」という考えだそうです。また、永遠性の概念も、時間の観念性にもとづく思想だそうです。それは、永遠性は時間の反対だからだそうです。時間がわれわれの知性の中にあるとしたら、スコラ学派的に言うと、永遠性は時間の終りなき継続ではなくて、恒常の今であるそうです。つまり、永遠とは今という瞬間であって永遠の集合が時間と考えているようです。このことをショーペンハウエルは、時間を展開された永遠と呼ぶことができると言っています。

まとめ
知性とは、認識力であり、外来の作用を受け入れるための、きわめて高度に発達した感受性だそうです。そして、直感的な洞察が偉大な思想を支えていて、しっかりした思想をもつためには、決してくだらぬことを考えないそうです。天才とは、主観的知性と客観的知性を具えている人間であり、大事業を志す人は、後世のために自分の作品を仕上げなくてはならず、高慢である必要があるそうです。また、時間、空間は知性の中にあり、時間は展開された永遠と呼べるそうです。
 この一編は、知性とそれに関係する天才、時間、空間などについて書かれていました。時間、空間の属性についてはまだ疑問が残りますが、哲学を考える上で重要な要素であることには違いなさそうです。

参考文献
「知性について」 ショーペンハウエル著 細谷貞雄 訳 岩波文庫