ヘーゲル「精神現象学 序論」

精神現象学について
精神現象学は名前がとても興味深いと思います。精神は現象ということなのか、精神の現象の解説なのか、気になります。ヘーゲルは精神的なもののみが現実的と言っています。つまりすべての現実的なものは、精神的なものと考えているようです。学問、教養、知識などを精神的なものと考え、まるで生物のように自己意識、生成、還帰をすると考えているようです。

精神の経験と否定性
 また、精神の経験の体系がふくむものは、精神の現象にすぎないと言っています。つまり精神の経験の体系は、偽であって真なるものではないそうです。よって精神現象学とは精神の偽の学問ということになります。ここで虚偽とは捨て去られるべきもののことだそうです。そして消えさるものは本質的なものだそうです。ヘーゲルは否定性は区別し現存在を定立するはたらきだと言っています。虚偽は存在者自体から生じた物なら存在者が他の物になる契機になるので、存在者が現存在を得るために必要な物だそうです。ここで経験とは、抽象的なものが自分を疎外し自分に帰ってきて、現実的なものとし真理として表明され、意識の所有となることだそうです。

運動の理由
 ここでなぜ存在者が疎外、展開などの運動をするのかというと実体はそれ自身において主体だからだそうです。主体は自分自身を産み出し、展開し、自分に帰ってゆくそうです。上述した通り現実的なものは精神的なものであり、精神は即自的存在であり対自的存在であるそうです。即自的存在であり対自的存在であるのはわれわれにとってであり、精神自身にとっても対自的になれば、精神の自己生産が純粋の概念としておこなわれ、精神は現存在を得るそうです。精神は現実的だから虚偽も含まれていて精神がそれ自身にとって精神になることは純粋な精神になることであり、虚偽は除かれるということのようです。つまり存在者は現実的だから虚偽も含み、純粋な概念になる過程が疎外、展開などの運動ということのようです。

学問とは
 ヘーゲルにとって学問は、固定した思想の諸規定を破棄することにより、一般的なものを現実化し精神化することだそうです。思想が自分自身を定立するときの固定したところを放棄することによって、純粋な思想は概念となるそうです。破棄すべき固定した諸規定は偽であり、偽であることは不同であることで、不同性こそ区別することだそうです。思想から固定したところを除くことで同一だけ残り純粋な思想になり、その純粋な思想が概念ということのようです。また、ヘーゲルは真理の真の形態は学問だと言っています。また、真理が現実に存在するのは概念というエレメントにおいてのみだそうです。また、知識は知識体系すなわち学問でなければならないと言っています。以上よりヘーゲルにとって
真理=学問=知識体系
のようです。

感想
ヘーゲルはいろいろな概念を使って説明しようとしているので本当に内容が理解しにくいです。物を見る視点も自分から見たり概念から見たりややこしいです。また経験とか学問とか理性とか日常で使われている意味と違う使い方をしているので確認しながら読まないと理解しにくいです。また、序論なのに60ページくらいありしかも理解しづらいです。ヘーゲルの話は抽象的なものが多いけれど現実と概念の関係性を重視しているところが興味深いと思います。また、神は存在であるの例のように述語が主語になったりする発想はおもしろいと思いました。

参考文献 ヘーゲル「精神現象学 序論」山本信訳 中央公論社